何しにキューバ行くん?
お久しぶりです。ホモ・サピエンスです。
読み続けてもらえたら幸いです。
長らくブログ書いておりませんでしたが、留学準備と怠惰が原因でサボっておりました。お許しください。
が、いよいよ念願のキューバ留学が始まります。
もし、「なんでこやつはキューバに行くんや」という疑問を0.5秒でも持ってくださった方、
読んで頂けたら幸いです。
今、この記事を書くにあたってかなりのプレッシャーを感じてまくってます。
くそがつくほどめんどくさがりの自分が計画を有言実行できるのか、現時点で留学計画が完全に保障されていない、留学計画変更による奨学金剥奪などのプレッシャーです。
まあ、そんなこと読んでる方からしたらどーでも良いことかも知れませんが弱音を吐かせてください💩🙏
では、長くなりすぎても読み疲れるので出来るだけ短く簡潔に説明します。
そもそもなんでキューバに行くんや?
“キューバに魅了”!?
そーなんですよね。人によって留学は行く場所も目的もバラバラなんですが、キューバに留学行く人ははあんまりいない気がします。
で一言でキューバに留学する理由をいうと、
“キューバに魅了”
されたからです”
僕は去年8/20から9/18の約1ヶ月間一人でキューバを旅しに行きました。
この旅に関しては内容が濃すぎるので、前回の記事を読んでもらえると私が何しにキューバに来てるかわかってもらえるとおもいます。
その旅では、喜怒哀楽(怒哀の部分の方が多かったけど)をこれでもかというくらいに味わいました。
「俺、キューバにまた来るやつやわ。」
と、「行きたい」とかではなく、
もう一回来るのは当たり前な感じがしました。
他の国にいくつか行って「また行きたいな」
と思う事はあってもここまでは思いませんでしたが、やっぱりキューバはひと味違った。
将来は“キューバと日本”がテーマ
帰国後、キューバについての映画や本、論文などを漁りだしてさらにキューバへの興味が湧いてきました。
それから徐々に自分がキューバという国に将来的にも関わる事を望んでいるんだなと思い、
その一歩として留学をすることを決めました。
現時点でのキューバの関わるビジョンとしては
「観光」です。
なんで観光か?
“多くの日本人がキューバに直接関わることができる”から。
キューバと日本を繋げたい。
あれだけ魅了してくれた人たちと日本人がもっと交流できたら素晴らしいなと。
国家レベルではキューバ支援国第3位に入っていたり、70年代後半ではソ連(ソ連崩壊前はロシアとキューバは師弟みたいな関係)に次いで最も貿易をしていた国が日本であったりと
なにげに関係があった。
でも、そんなことは多くの人(特に日本人)知らない。
インフラなどではまだまだ遅れているキューバ、日本の技術をこういうところで使えないのか。
中国のタンカーや工場で埋め尽くされる港、
キューバといえばクラシックカーだが今やもう中国製のクルマがあちこちで見られる。
観光バスに至ってはほぼ100%中国産。
なにからなにまで中国製。
中国を嫌うとかではなく(逆にそのプレゼンスの高さに圧倒、リスペクト)日本とキューバをモノレベルでも繋げれるのでは。と日本人として思ってしまったわけなんですよ。
でもモノより先にヒトの交流が先に盛んになればいいと思った。
私1人の力でできることなんてハエ以下やと分かってる。
やけど、私を通じて友人や知り合いの1人でもキューバに関心を持ってくれて、キューバに行ったわとなったらそれだけでもその1人の人生、そしてその人と出会うキューバ人の人生に何らかの影響を与えれた事になる。
微力かも知れへんけど、その意味は大きいと信じている。
特にこれからの時代を背負う若い世代にキューバを知ってもらいたい。
若者にとってはキューバへの旅費はかなり高いし、それなら東南アジア行ってる方が良いかもしれない。
それでもキューバは人を惹きつける特別なパワーがある、絶対あると思う。
あの大国アメリカ相手にケンカを売って革命を起こして勝利した国ですよ!?
そらなんか特別なもんがあるはずや。
少しずつ、一歩ずつキューバと日本を繋げていきたい。
なんだかんだいつものように長くなりましたが、読んで下さってありがとうございました。
*キューバでの情報はSNS(Insta, Twitter、後々YouTube?)でもあげていくので、気になる方はよろしくちょ🙋♂️
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twitter: @upuMSN8cRhFv3ck (ちぇかし)
「革命の国に生きる人たちとの1ヶ月」
こんにちは、ちぇかしです。
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いきなりですが、あなたの5分を僕、キューバに投資してください。
私は、一年前にキューバに1ヶ月間旅に行きました。この記事はInstagramの投稿の引用なのですが、その旅について書いたので、読んでもらえると嬉しいです。
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在住経験ある方が言っていた通り向こうから話しかけてくる人は、そうでない人ももちろんいたが、金銭的な事を最終的にお願いされるのがオチの場合が多かった。最初の方はうまい手口や同情を求められ、初めての海外1人というのもあって向こうのお願いに何回か応じてしまった。野球を通じて仲良くなった同世代の若者たちには結局うまいように俺を使ってるのを察して、お金を超えた友情関係が理想の俺にキューバの現実が突き刺さった。カサ(安宿)のベッドで落ち込んだ日もあった。そんなことが何回もあり、そういう経験があるごとに大きな壁にぶちあたるような気持ちをした。しかしこのままではなにも得られないと思った俺はつたないスペイン語に辞書、ジェスチャー、パッションでなんとか彼らの懐に飛び込もうとトライした。その結果、その気持ちに応えてくれる人もでてきた。 野球をしたい!という強い気持ちが伝わったのか立派な球場で地元のプロ野球のチームの選手やU-18キューバ代表で日本にも来たことあるような選手と野球をする事ができた。野球の後、彼らに俺の思いを話し、彼らもまた今置かれてる、とても良いとは言えない状況でのプロ野球選手としての葛藤を話してくれた。
ハバナでは、カサまでの帰り方を尋ねたら一緒に帰ってくれた上に家にあげてくれてご飯をご馳走してくれた人もいた。自分たちの食料で精一杯な人達が多いこの国で。さらにある公園ではWi-fiカードを売っていたお兄ちゃんとカードを買ってないにもかかわらず意気投合して、俺のために地元の人が乗るタクシー(外国人用のタクシーは値段が高い)をつかまえてくれた。さらには3週間後の結婚式の立会いにも招待してもくれて、途中ケータイをなくして諦めていた彼との奇跡の再会もあって結婚に立会うこともできた。
さらに観光客もいないような町では、スマホを盗られて家族と音信不通になった話をしたらスマホを貸してくれて2週間ぶりに家族に無事を伝えられた。外国への電話料金は彼らにとってはかなりの負担になる値段なのに。
これら経験は本当に友情というものを感じさせてくれるような人たちとの出会いだった。そんな中、滞在も終盤に差し掛かった日のことやった。路上でビールを片手に喋っていた40歳くらいの黒人2人組に日本人か?と話しかけられた。また最後にお金をねだられるだろうと思ったがその時は逃げたらいいと思い、立ち止まって話すことにした。幸運にも2人のうち1人は英語を同レベルで話せ、日本人が好きというのもあり話が弾んだ。そんな彼らからビールも奢ってもらい調子に乗った俺はキューバの事をどう思うか尋ねた。社会主義国キューバでは政府の話はムショ行き覚悟のタブーやけど。でもキューバ滞在中は話が弾んだ人に限ってちょこちょこその話題を挟んで、彼らの意見を聞き出そうとした。その中で彼の言葉はとても印象的やった。彼は、キューバが良くなるためには腐った政府が変わるしかないと言っていた。「警察は腐敗してる、俺らの生活のことなんて考えてない、俺らの働いた金は政府に取られてる。」さらにこんなことも。「キューバのマフィアのボスはカストロや。」と。革命を批判する人は見られなかったが、確かにキューバのヒーロー、カストロを称えない人も若い人にはいた。しかしここまで痛烈な批判は彼が初めてやった。ラテンアメリカではだいぶましなはずの黒人への差別もあると言っていた。
最後に、キューバの人とお金の現実を見て壁にぶちあたったことを話した。「時には金関係でつるむようなキューバ人に腹立つ。」と俺の心の内を彼に言った時こう言い返された。「チカシ、キューバで生きる上で一つ大切な事を教えてやる。それは“survive”だ。キューバ人は皆生きるために必死なんや。」この言葉でなにか、もやもやしていたものが少し消えたような気がした。俺は、友情関係は国境やお金のことを超えて成り立つのを理想としていた。しかしそれはお金の持つ日本人の私だから言えるたわごとだったのだとこの言葉に気づかされた。さらにバケーションで来てるような外国人が一日会ってちょっと仲良くなったからって友情関係を築けると思ってた事自体甘すぎたと気付き恥ずかしささえ覚えた。
しかし、先程話したように彼らの優しさに触れられた経験もまたまぎれもない真実やった。なのでこの事を聞いた時に、ではより良い関係を気付くために必要なことは何かを考えるような考え方にシフトする事ができた。
今まで国境を超えても成り立つ友情もたくさん経験してきた。しかし国の状況なども関係してそれが成り立ちにくいこともあるのだと分かった。なので、この経験を無駄にせず、良い意味でも悪い意味でもお世話になった彼らに何か自分が出来ることを考えていこうと思う。 .
帰り際、出会って間もない外国人の私に気持ちをぶつけてくれた彼らに3cucを渡して別れを告げた。19歳の私が40歳近くのおじさんに金をあげ、彼らがそれに対してハグしてまで喜ぶという光景は今のキューバの状況を反映してるかのようで皮肉やった。でも彼らに対しそうしたくなる気持ちを抑えられない俺がいた。
長くなりましたが、読んで下さってありがとうございました。
次回もよろしくお願いしまっ!
恋バナと母国と世界に乾杯。
こんにちわ、チェ・ゲバラです。
そんな冗談はさておき、チェ・ゲバラに恋しました。
(この始まり方に「前と一緒やんケ」と思ってくれた方、前回に引き続きありがとうございます。
「なんのこと?」とポカンとなっている方前回の記事をお読みください。
チェ・ゲバラは今回の記事には一切関係ありませんが、
最近、無事トビタテ奨学金を受給できることになり、バイト3かけもち×週5×3か月という僕にとっては地獄の日々に終止符を打つことができました。
そしてやっと、断り続けていた飲みの場に顔を出せるようになってきました。
飲みの場に久しぶりに帰ってきて思ったことがありました。
あれ、飲みって一生恋バナと下ネタしか話したらあかんかったっけ?
もちろんこの分野の話は大好きやしめちゃくちゃ楽しい。でもやっぱり飽きることがあるのも確か。
そこで、最近勉強し始めて身につけたそこそこの知識で政治や歴史、いわゆる社会の話を調子こいてよくするようになった。
でもあんまり飲みの場でそういうことは話さん方がいいのかなっていう雰囲気を感じるようにもなった。
なぜなら単純に面白くないから。知識を見せびらかしてるようだから。「社会問題は自分に関係することやけどどちょっと遠いよな、、、、。」「こいつちょっと勉強したから自慢しとる。」
今、特に日本の自分たちの世代(20代)ではいわゆる“意識高い系”はマイノリティやから余計うざいかもしれへん。
(そんなこと感じながらも聞いてくれる、もしくは聞いているふりをしてくれている友人よ、誠にあざす。)
恋バナ<日本<世界 3つの視点を飲み会に
ここで「小なり “ < ”」は優先順位を表してるわけではなく、規模の意味。
もちろん、飲みの場でなに話すかってなったら、20代は近況報告、恋バナ、下ネタみたいな感じで直接自分に関係のある話。
政治のことは?
小中高でやってきたけど、科目の一つでしかない。
現実の自分の世界とは間接的に関わっているといえども“お偉いさん”が決めたことやし俺らが関わることではない。
それよりも大学、職場、恋人間の人間関係の方が最優先事項。
じゃあ、世界のことは?といったら好きな歌手やスポーツ選手、モデルが海外の人っていう感じの人は少なくない気がする。
実際に、自分も大学に入るまでは野球のこと、人間関係のこと、勉強のこと、ちょっと好きな音楽について、くらいしか生きてて考えることもなかった。
それ以外、日本や世界のことなんか自分の世界と無関係なことやと思っていた。
そんな俺も、いろんな出会いと経験のおかげで情報を集める努力をし始めた。
それから出会う新しい世界。理不尽だらけ。結局弱者が負けていく世界が見えてきた。
しかもその弱者には俺も身近な人も含まれている。
例えば教育、奨学金をもらっている大学学部生は2人に1人。
そのうちの3人に2人は有利子。
「お前えぐバイトするやん」て、笑えへん笑えへん。
必死にバイトして生活費も授業料も払って、ってしても就職後も返済に追われるってえぐすぎやん。
それでも「自分が悪い」「しゃーない」ってのは日本社会の象徴なんかな。
世界に目を向けても、先進国で多くの日本人の文化的憧れであるアメリカやヨーロッパが途上国にしてきた歴史はひどいものがある(日本にも同じ過ちがある)。
アフリカ、ラテンアメリカ、中東でも紛争が起こってるけど、その原因にいつも先進国おるもん。
それ知らんと欧米には頭下げて、それ以外の地域にはちょっと見下す感じはおかしすぎるぜぃ。
ここではほんのちょっとしか触れてへんけど、まだまだ問題が日本にも世界にも、自分たちの身近な問題同様いっぱいある。
ほんの1ミリ、いや、一マクロ程度知っただけかもしれへんけど、生まれてこのかた20年、
自分が知らないところで弱者が負けるような世界が広がっているということ、
もしかしたらその弱者に入ってしまっても気づかず自分のせいにしたり、しゃーないで片づけたりしてることに 目を傾けるのが大切なんかとやった少し気付いた。
長い長い遠回りをして飲み会の話に戻るけど、
みんなが、身近なこと、自分の国のこと、世界のこと、この3つのジャンルに興味を持ったら、話のネタも多くなるし、親友同士でも案外知らなかった考えとかを知ることができて
プラスばっかりやと期待してる。
だってゴールは知識の勝ち負けを競うことじゃなくて、みんなで良いアイデア出すことやし、どんどん話することは👍やん。
そんな記事を書いてたらちょうど昨日から参院選。今回の参院選はどの世代にとってもかなり大っきなイベント。
この記事がなんかを考える機会になることを祈らんばかりに今回は終わります。
前回の記事に比べて文字ばっかりで
面白くなかったやろけど読んで下さりありがとうございました
革命の国に生きる人たちとの1か月。
こんにちは。キューバです。
そんな冗談はさておき、キューバに恋しました。
観光資源は人!?
キューバとは??
30~40代以降の方に聞くとすぐに“カストロ”、“チェ・ゲバラ”というフレーズが返ってくる。
でも同年代の学生に同じ質問をすると
社会主義の国、アメリカと仲が悪い国、治安が悪い、野球が強い、、まずどこ?、。
という答えが返ってくる。
実は、野球強い社会主義の国くらいしかキューバのことは知らなかった。ただ小学校の時に見たテレビで、キューバでは教育費、医療費無償だということを知ってあまりマイナスなイメージは持ってなかった。
面積は約11万㎢で本州の約半分。
人口は1,149万人(2017年現在)と東京とほぼ同じ。
首都は、カミラ・カベロのヒットした曲でおなじみの“ハバナ”
(ちなみに大好きな歌手カミラ・カベロがキューバ系と知ってめっちゃ嬉しかった。)
宗教は原則自由ですがキリスト教徒が多い。アフリカ系のサンテリアという民間信仰もある。
気候は、石垣島と同じ緯度にあるため常夏。ハリケーンが9~10月に多し。2018年9月には巨大ハリケーン「イルマ」が直撃、甚大な被害が出て日本でもニュースに。
そして気になる政治体制。キューバは共産党を最高指導勢力とする社会主義国。
お隣北朝鮮の影響で「社会主義」「共産主義」=「独裁」「やばい国」のようなイメージを持つ方も多いかもしれないが、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラたちが“革命”を起こし、社会主義の国になった歴史を知れば、「社会主義」へのイメージが変わると思います。(今、日本の民主主義もえらいこっちゃなってますしね汗)
そもそもなんでキューバ行ったん?
前回の記事にも書きましたが、一つ目の大きな要因は2017年のタンザニア旅行。
初海外で兄の留学地であったタンザニアに2週間滞在した時、「兄とは違う国に、英語ではない言語が話されてる国、そして海に面している国に行こう」と欲張りをかましました。
まだその時はこの国に行きたいというのはなかったのですが、ラテンアメリカのどこかには行きたいと思いました。
タンザニア帰国後、大学のゼミの先生にそんな話をすると「サルサが有名なキューバは?」とダンスを切り口のキューバを提案してもらいました。
「あ~キューバか~」と全くダンスに興味はなかったのですが(すみません先生。)
キューバと聞いて、「医療費、教育費無償の国キューバはすごい国やな~」と小学生ながらテレビに興味津々だったのを思い出しました。
それに野球をしていた僕は、キューバ選手が日本で活躍しているのを知っていたため、「キューバの野球を見たい!」となったわけです。
そんなに「絶対キューバに行く!」という強い動機もなく、貯め続けていた貯金を使って一か月旅に出ることにしました。
「観光客にはならんこと」
大金を使って海外経験に投資する訳やからなにか意味のある旅にしたいと思い、一つの決まり事。
「観光客にならんこと」
観光客のイメージは、観光地を巡って、インスタ映えする写真を撮って、ツアーに参加して決められたアクティビティをこなして、夜は高級ホテルでモヒートをグイっとといった感じ。
もちろんこれは極端なイメージやと思いますが、そういった旅は金銭的にも不可能だったので旅のスタイルを自分なりにしてみた。
それは、とにかく現地の社会(人)を生で感じること。
当時スペイン語はほとんど話せませんでしたが、会話帳片手に熱意と興味を背負ってあらゆるキューバ人に話しかけてみた。
このことがとんでもない経験をするための近道だったことは予想できなかった。
友達に「キューバどうだった?楽しかった?」と聞かれるけど、その答えには今でもほんまに悩まされる。すべてを一から説明したらなんとなく分かってもらえる気はするけど、総じて旅をまとめるのは難しい。
しいて言うなら、「何が良かった?」と聞かれると、「人」と一文字で答えられることくらい。
キューバの経験、「人との出会いは」嬉しいことも悲しいこともあり、喜怒哀楽の連続やった。
「怒」と「哀」の部分は「喜」、「楽」の時間より大きかった。
そのほとんどが人間関係が原因で。
例えば、野球をして仲良くなったと思った若者たちには最終的にお金をねだられクラブへ彼らを連れていくことに。キューバ第2の都市サンティアゴでは、広場で仲良くなった人たちには酒を交わされ、挙句の果てにドラッグを勧められたりこともあった。
「結局俺は金づるでしかないんか!」と最初は躍起になった。
でも、改めてキューバの社会状況を考えてそれらの出来事を考えた時、お金を超えた人間関係を望んでいたことに対する悲しさがこみ上げてきた。
「国を超えた、お金を超えた友情関係なんて成立するんかな。」
夜の公園でベンチに寝そべりながらこんなことを思ったことがあった。
でも、カサ(民泊のような宿泊施設)への帰り道で仲良くなったキューバ人家族のディナーに招待されたり、公園でたまたま隣に座ってきた兄ちゃんと仲良くなり結婚式に呼ばれたり、キューバのプロ野球選手と一緒に野球をしたり、と温かい人たちに巡り合い、友情を感じさせてくれたのもまた真実。
数では「怒」と「哀」が多かったかもしれないけど、「喜」と「楽」のパワーはその数を圧倒した。
「経済関係を超えて友情関係が成り立つなんて、たった1か月の滞在で来た外国人が偉そうに望むこと自体バカげてる」と思っている自分は確かにいる。
でもそんな希望を持つことをあきらめられないのは、キューバ人の魅力に憑りつかれたからだと思う。
これこそがキューバが多くの人を呼び寄せる理由だと思う。
同世代の日本の若者がキューバに足を運び、自分の目に映る彼らの姿をぜひ共有してみたいというささやかな望みを結びに今回は終わりとしま~す。
長くなりましたが読んでくださりありがとうございました。
大学は人生の夏休み??
こんにちは、ポーレです。
前回は、ブログを始めた動機みたいなのを書きました。
今回は、
ほんまに「大学は人生の夏休み」でいいのか
について書いていこうと思います。
実際、結構多くの人がこのフレーズを聞いたことがあると思います。
僕自身、「将来〜をするために〜大学に入って〜を学ぶ!」といった明確なビジョンはなく、とりあえず大学に、とりあえず授業料の安い国公立大学に、だけでひたすら受験勉強に打ち込んでました。
やっとの思いでギリギリ入れた大学、
12年間野球部だった僕にこれでもかっていうくらい休みがある大学生活はたしかに「人生の夏休み」のようでした。
次の日の事なんか考えずに飲みに行ったり、授業ほったらかして遊びに行ったりしました。
単位さえ取れれば良いという考え方は当たり前だとさえ思っていました。
でも、大学の恩人2人に出会いや、海外志向が高まったことであることに気付いてしまいました。
大学は「人生」の「夏休み」じゃなくて、
「野球部」の「冬練」でした。
お察しの通り全然上手く例えられてません。
野球やってたからって野球部事情だしてくんなやと思われてる方も少なくないと思いますが、
要するに夏の大会前(=就職) 前の大事な準備期間てことです。冬どんだけ頑張れたかで夏の結果が変わってきます。
海外では、大学四年からの1年間就活に当てるなんてことはなく、大学や院でしっかりスキルをつけてから就職する人が多いです。
そのため外国人の友達に「なに勉強しているの?」と聞くとはっきりと答えが帰ってきます。
大学で勉強することに明確なビジョンがあるからです。
大学生だからって将来やりたいことが決まっている必要なんてありませんが、履歴書に “大卒”があった方が有利だからというだけで親に多額の投資をしてもらうのはちゃうんちゃいますか。
4人の子供がいるため僕の親は本当は高校卒業後働いて欲しかったに違いない。分かっているつもりだったが、遊び散らかした。
でも、海外に行っていろんなことを見て、日本の問題にも興味を持つようになって大学生であることの責任を考えさせられました。
僕が、海外での経験や日本の社会問題を周りの友達に語ろうとすると煙たがれるケースが多い。特に海外に出たことのない人たちにそういったことがよく見られる。
現実に目を向けて、熱く語って何が悪い。
シリアスな話題でさえ日常の会話の一部になれれば、前を向いた熱い人たちがもっと増えると思う。
長くだらだらと書きましたが、まとめると、
海外に行く→考え方が変わる→日本や世界の問題に目を向ける→熱男/女が増える→社会がよくなる
そして、この変化を生み出せるのは大学の今がベストタイミング。働き出したらそんなこと考えている余裕を持つのも大変だろう。
何か、プラスを若い僕たちで作っていきましょう✌🏼
今日の名言
「友よ、今を必死に生きろ。
1秒で人生は変わるぞ。」
“ Amigo, live this moment, one second can change your life ”.
By キューバの友達
宿が見つからず困っていた僕を家にただで泊まらしてくれたキューバ人。
彼は、幼い頃に父親がアメリカに亡命したせいで貧しい生活を強いられた。しかし絶対に今の生活から抜け出すと必死に働いた結果、自分の家庭を持ってリッチではなくとも幸せに暮らしていた。そんな彼は48歳、今でも自宅には英語が書かれた大量の付箋で独学中。初めて出会った外国人の僕に伝えてくれた熱い言葉。心に刻みこまれやした。
こんな俺がブログなんて、、
はじめまして、ちかしです。
ネットにはお世話になりつつもオンラインの世界が嫌いな僕がブログを書くことになるなんて、自分でもびっくりしてます。
ってことでまずは自己紹介もかねて、ブログを始めた経緯でも話そうかと。
今年の4月から大学3年になる僕ですが、父と兄の影響で6歳から野球をはじめ、高校までの12年間続けました。小中学校ともにキャプテンをしていましたが、特に上手いわけでもなく、選手としての特徴は“声がでかい”だけでした。
進学先の高校は県内では進学校と言われる学校で、夏の大会はいつも一回戦負けのチームでした。そのチームですらベンチにぎりぎり入れたくらいの選手でした。
でも、技術はともかく野球はめちゃくちゃ好きです。とりあえず暇な時間があったら壁当てか素振り。野球なしの人生は考えられないくらい、常に野球が生活にありました。
高校3年間、夏の大会までは勉強は赤点を取らないくらいの最低限のことしかしていませんでした。僕なりに高校野球にすべてをつぎ込みました。なので最後の大会に出場することはできなかったですが、高校野球はやり切れました。
その後、周りのサポートに支えられ公立大学に後期で滑り込みで合格し、新たな大学生活を楽しみにしていました。
そんな中、大学でも野球を続けるか迷っていました。
が、やっぱり高校でやり切った野球をもう一度スイッチをいれるのは難しく、中途半端に野球をしてしまうのは嫌だったので大学では野球はしないことにしました。
人生の柱としての野球がなくなり、特にすることもなくなった大学生活の幕開け、と思っていました。
しかし、“ある経験”が当初描いていた大学人生を変えることになります。
実は、ぼくは、ちょうど野球を始めたくらいの歳に見ていた海外の街歩きの番組にかなりはまって、“海外”に行きたいなという思いを持っていました。
ですが、今まで書いてきた通り野球中心の人生だったので、中学や高校で海外に行けるプログラムを目にしても、野球を休んではいけないので断念してきました。
大学に入り、私の所属する学科が留学制度がしっかりしているというのもあり、小さい時の憧れである“海外”が再び気になりだしました。
部活にもサークルにも入るわけでもなく迎えた大学1年の夏、兄に「タンザニアに行くけど一緒に来るか?」と聞かれました。
僕の大学入学とほぼ同時期に一年間のタンザニア留学から帰ってきた兄は、卒業論文の完成と現地の友達に会うために再びタンザニアに行くつもりでした。海外に行ったことがない私はタンザニアであろうが南極であろうが(南極はまた話が違うな)どこの国であろうが返事はYESでした。
そしてこの初海外タンザニア経験と、二人の恩人(この方たちの話も後々)のおかげで大学が当初の予想より充実したものになっていきます。。。。
「海外に行くと世界が広がる」というような決まり文句はマジでした。
海外をみて自分の存在はちっぽけだなと気づかされる一方で、それでも自分の存在が多くの人と触れ合っていることも真実なんだと思いました。
帰国してからは授業に挑む姿勢も、行動力も、考え方も変わりました。
そんなこんなで、自分の考えや経験を多くの人に共有し、共有されたいなと思いブログを始めるに至りました。
最後にタンザニアのお土産屋で仲良くなったおっちゃんが僕に言ってくれた言葉を紹介して締めようと思います。
「お前にとっての先生は、お前が出会うすべての人たちだ。一人一人がお前に最高の授業をしてくれるんだ。」
ありがとうございました。