キューバと俺 

キューバの虜になった大学生。

「将来の日本に備えて」

f:id:demicorazon:20200406053153j:image
 今の便の調子とは似つかぬかたい文章になりやした。💩

 留学開始から5か月が経ち、目に見える形で成長したかと言われれば多分していない。語学は伸びている気はしないし、サルサも踊れないし、キューバ名産のラム酒にもすぐノックアウトされてしまう。五か月前の自分と今の自分を比較するのが怖いくらいだ。

 


 それでも、「若い内に海外を経験しといた方がいい」はその通りだなと思える留学生活を送れているのはポジティブに捉えていきたい。

 

 では、そう思える根拠は何かというと、今までもしつこく言ってきたが“外国人”になれたことだ。

 

 国や地域に限らず、新しい環境に入る時は常に自分は“外”の者と感じてしまうのは普通の感覚だろう。それでも日本人という共通項を持っているおかげで、見た目に関して国内でそれほど疎外感を感じることはないだろう。


 だけど海を渡って違う国へ行くと一気に疎外感は増す。私は一人で1か月以上海外にいる経験はキューバだけなので他の国に行った人がどう感じているのかは興味があるが、少なくとも文化的に日本と全く似たところがないカリブの社会主義国キューバではほとんどの“外国人”が強めの疎外感を感じるのは確かだと思う。


 バスに入るとじろじろ見られ、多くの店で“外国人料金”が取られ、友達と思っていた奴に金づるにされとこれでもかというくらいに“外国人”の洗礼を受けた。5カ月経ってもこれは慣れない。


 この現実を見てようやく気づいた。日本にいる“外国人”も全員ではなくとも同じ思いをしている人は少なくないだろうと。

 

 外国人労働者(技能労働者)をモノのように扱う企業、未だに単一民族性を強調する政治家が副総理に居座れる政界、日本人でありながら外国人の見た目をしているが故に疎外感を感じる羽目になってしまうハーフの人達の苦悩も日本社会全体の抱える問題だ。日本社会全体を見ても“外国人”と日本人という二つの構造が存在する。


 しかし日本は現在約300万人近い在留外国人がいる。平成の30年間で約200万人増えた。完全に移民の国と言っても過言ではないはずなのにまだまだ国全体を通してその感覚はないし、社会全体がその現実から目を逸らしているようにさえ感じる。

 

 しかし、少子化の勢いが止まらない日本の将来を考えれば日本で暮らす外国人は増えてくることは確かだ。そんな状況の中、日本社会の現状を見れば、彼らをよそ者扱いし、孤立させかねない状況が悪化すると思う。特に心配なのは二世やハーフの人たちだ。日本に生まれ育ち、国籍も日本であるのに外国人扱いされる、そして自己喪失に陥ってしまう。望んで生まれてきたわけではないのに環境のせいで苦しむ。


 そんな人たちが日本で安心して心地よく暮らせるにはどうすればいいのか。全ての人が「多様性」を受け入れる意識を持つことだ。聞こえはいいがこれが実に難しいだろう。

 

 自分の価値観では到底カバーしきれないことが起きる環境に身を置いてしかこの多様性は理解できないし、受け入れられないと思う。その点でキューバでの経験は日本での私の常識ことごとく破壊してくれるので、少しは多様性を受け入れるという感覚に慣れて来た気がする。

 留学の意義は人それぞれだと思うが、私にとっての留学の意義は日本で築いてきた自分像やプライドなどズタボロにされ、疎外感を感じるところだ。

 

 それはここで淡々と書けるほど容易い経験ではないが、多くの若い世代がこれからの多様性にアジャストしてより良い社会を築くために“外国人”になる経験=“マイノリティ”になる経験の必要性を強く感じた。


そう、文章をまとめる必要性も感じた。

f:id:demicorazon:20200406053144j:image