キューバと俺 

キューバの虜になった大学生。

 今、人生においてとっても大事なことを学んでいる気がする。

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ご無沙汰しております、Chikashiです。

だいぶ前に投稿して以来、 またもさぼり癖を発動させておりました。

 

ただいまコロナ禍により予定していたキューバでの観光インターン シップも中止になった上、空港閉鎖で帰国できないため、カサ( 滞在している場所) でオーナーとアンゴラ人のルームメイトと自粛生活を過ごしており ます。

 

まあ、そんなこんなで久しぶりに書こうかなと思ったのは、11月 から一緒に住んでいるドミンゴの存在があったからです。 ドミンゴと知り合った話は割愛しますがもしよければ開設したての YouTube(https://youtu.be/ixJn5kmOkxw)

を見てもらえればと思います。

 

一緒に住み始めた時から「 ドミンゴとの出会いは生涯を通じて残る」 と感じさせてくれていたのですが、 コロナ禍で彼と話す時間も増えてさらにその思いは確信に変わりま した。

 

日本にいる友人にドミンゴの話をすると「何がそんなすごいん?」 と返ってきます。

 

それは経験に裏付けされた物事に対する考え方です。

 

他人から聞いた考え方で物事を捉えているのではなく、すべて23 年の人生で経験してきたことを基に思考しているため話に説得力が あります。

 

ドミンゴが教えてくれることの中にはみんなも聞いたことがあるよ うなことばかりです。何が違うのか。 それは体験談を話に必ず交えるからです。

 

早速僕の中で「若い内にとりあえず経験しまくれ」 というありきたりフレーズが深みを帯びました。

 

正直に話すと、 今では勝手に師と仰ぐドミンゴのことも出会った当初は心のどこか でアンゴラ人→アフリカ人→自分より下かなと思っていました。

今振り返るとよくそんな事を考えられたなと虫唾が走ります。

 

そんな考えをしていた過去の自分を猛省しながら、 今回はいつも自信が持てなかった自分に響いた言葉を紹介しようと 思う。( 僕が言葉を聞いた時のリアル性を持たせるため関西弁訳になります 。)

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“Acepta a ti mismo. No importa que la otra persona te diga”

 

「まず自分を受け入れろ。 他人受けばっかり考えるから苦しむんじゃないか。」

 

「自分が良ければそれでいいやん。 他人に迷惑をかけへん自己中の何があかんのや?

オシャレするとき心のどこかで他人に綺麗、 カッコイイと言われるのを待つ人いるよな?

ある日はかっこいいて言ってもらえるかもしれへん。 じゃあ次の日言われへんたらどうする? ちょっとブルーな気持ちならへんか? 気になるからまた家帰って服変えなあかんくなるやん。

鏡見て『今日の俺かっこいいな』て思えたらそれでいいやん。

 

よく女の子の好きなタイプで『自信がある人』って聞くやろ? 俺が思う自信がある人ってのはありのままの自分を受け入れている 人やと思う。他人と比べることなくイキイキしている。 そんな自分を受け入れられる人は他人からも受け入れられると思う で。」

 

 

そう話すドミンゴも高校生の時、 自分の顔に自信がなかったらしい。 休み時間には他人の目を気にして席から動けなかったほど。 そんなドミンゴが祖父に「おじいちゃん、自分の醜い顔が嫌いや」 と言ったことがあった。するとこう返ってきた。「うん醜い、 自分を受け入れられへんお前はただただ醜い。受け入れろ。」と。

 

ありのままの自分を受け入れたドミンゴに他人の目を恐れる姿勢は ひとつもない。

 

 

「他人の目を気にするな」というフレーズは何度も聞いてきた。 しかし「するな」 といって他人に向いたベクトルの長さを抑えるだけではまた伸びて いく。そうではなく「自分を受け入れる」 というふうにベクトルの方向性を変えることをドミンゴは説いてい る。

 

特に他人の目を気にする習性を持つ人が多い日本人( 自分も含めて)は「自分を受け入れる」 という方向性に変えてみるのはどうだろう。

 

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人の数だけある正解


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 ついに6か月のスペイン語クラスが終了し、キューバ留学の前半が幕を閉じた。ようやくちょっとずつ物事の捉え方が変わって来たような気がしてきた。


 そんな時にという気持ちが残りつつビザの事情で出国しなければいけず、アメリカに向かう事になった。


 別にアメリカでなくても良かったが、幸い2018年のCLSプログラムで出会った友達が招待してくれたのでアメリカ、ニューオリンズに1週間滞在することになった。

 

  正直アメリカに行きたいとい願望はそれ程なかったが彼と会うのはかなり楽しみだった。それは懐かしいからだけではなく、興味深い事を聞けると思ったからだ。


 彼はアメリカの海兵隊士官であり父がキューバ人。彼の父は幼い頃に家族と共にキューバを亡命しているため国籍はアメリカで英語しか話さない家庭に育った。

 

 彼からキューバを感じることはないが、キューバに対してそれなりの意見は持っていた、海兵隊として、亡命した父を持つ者として。


 まず彼のキューバに対する意見は否定的な意見であった。フィデル・カストロは独裁者であり、社会主義の政治は間違っているという強い意見であった。その考えに父の影響があるのは間違いない。その考え方は*革命直後の亡命キューバ人の典型例なものだった。詳細は不明だが、父の友達が理由もなく刑務所に入れられ資産を接収され、命からがら欧米に亡命したという経験が強く影響しているようだった。(*彼らは革命前のバティスタ独裁政権時に利を得ていた上流階級、中産階級といった人たち。亡命キューバ人にも時期や個人の経済状況によって亡命理由は異なる。)


 現にキューバに住む者、特に若い世代も政権に対しては厳しい意見を持つものは多い。反対に革命前と後を経験した高齢者には、政権を肯定的に見ている。はたまた、キューバにいながら海外に家族がいて比較的容易に海外訪問できる者は、より客観的にキューバ社会と外の社会を見ている印象がある。


 私自身、キューバや政権に対して外国人として自分なりの意見はある。だがキューバに6か月住んで、色々な人の意見を聞く中で学んだ事は、社会に正解はないのだということだ。自分の生きている環境や経験によって物事の見方は180度変わるからだ。

 

 しかし、その中でも自分の主張を持つ事は大切だ。自分の主張がない、あるいは言えないなら存在していないと一緒にみなされるからだ。海外留学を通して、私に足りないのはこの部分だと痛感させられた。

 

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「将来の日本に備えて」

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 今の便の調子とは似つかぬかたい文章になりやした。💩

 留学開始から5か月が経ち、目に見える形で成長したかと言われれば多分していない。語学は伸びている気はしないし、サルサも踊れないし、キューバ名産のラム酒にもすぐノックアウトされてしまう。五か月前の自分と今の自分を比較するのが怖いくらいだ。

 


 それでも、「若い内に海外を経験しといた方がいい」はその通りだなと思える留学生活を送れているのはポジティブに捉えていきたい。

 

 では、そう思える根拠は何かというと、今までもしつこく言ってきたが“外国人”になれたことだ。

 

 国や地域に限らず、新しい環境に入る時は常に自分は“外”の者と感じてしまうのは普通の感覚だろう。それでも日本人という共通項を持っているおかげで、見た目に関して国内でそれほど疎外感を感じることはないだろう。


 だけど海を渡って違う国へ行くと一気に疎外感は増す。私は一人で1か月以上海外にいる経験はキューバだけなので他の国に行った人がどう感じているのかは興味があるが、少なくとも文化的に日本と全く似たところがないカリブの社会主義国キューバではほとんどの“外国人”が強めの疎外感を感じるのは確かだと思う。


 バスに入るとじろじろ見られ、多くの店で“外国人料金”が取られ、友達と思っていた奴に金づるにされとこれでもかというくらいに“外国人”の洗礼を受けた。5カ月経ってもこれは慣れない。


 この現実を見てようやく気づいた。日本にいる“外国人”も全員ではなくとも同じ思いをしている人は少なくないだろうと。

 

 外国人労働者(技能労働者)をモノのように扱う企業、未だに単一民族性を強調する政治家が副総理に居座れる政界、日本人でありながら外国人の見た目をしているが故に疎外感を感じる羽目になってしまうハーフの人達の苦悩も日本社会全体の抱える問題だ。日本社会全体を見ても“外国人”と日本人という二つの構造が存在する。


 しかし日本は現在約300万人近い在留外国人がいる。平成の30年間で約200万人増えた。完全に移民の国と言っても過言ではないはずなのにまだまだ国全体を通してその感覚はないし、社会全体がその現実から目を逸らしているようにさえ感じる。

 

 しかし、少子化の勢いが止まらない日本の将来を考えれば日本で暮らす外国人は増えてくることは確かだ。そんな状況の中、日本社会の現状を見れば、彼らをよそ者扱いし、孤立させかねない状況が悪化すると思う。特に心配なのは二世やハーフの人たちだ。日本に生まれ育ち、国籍も日本であるのに外国人扱いされる、そして自己喪失に陥ってしまう。望んで生まれてきたわけではないのに環境のせいで苦しむ。


 そんな人たちが日本で安心して心地よく暮らせるにはどうすればいいのか。全ての人が「多様性」を受け入れる意識を持つことだ。聞こえはいいがこれが実に難しいだろう。

 

 自分の価値観では到底カバーしきれないことが起きる環境に身を置いてしかこの多様性は理解できないし、受け入れられないと思う。その点でキューバでの経験は日本での私の常識ことごとく破壊してくれるので、少しは多様性を受け入れるという感覚に慣れて来た気がする。

 留学の意義は人それぞれだと思うが、私にとっての留学の意義は日本で築いてきた自分像やプライドなどズタボロにされ、疎外感を感じるところだ。

 

 それはここで淡々と書けるほど容易い経験ではないが、多くの若い世代がこれからの多様性にアジャストしてより良い社会を築くために“外国人”になる経験=“マイノリティ”になる経験の必要性を強く感じた。


そう、文章をまとめる必要性も感じた。

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馬鹿正直は痛い目にあう?

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  11月となり、友達がもう帰るからという口実のもと遊びまくってたし、全然勉強してへんた。2日前に仲良い子も帰って、最近天気も悪いから遊びに行く口実がなくなって、一人でいろんな事を考える習慣を少しずつ取り戻しつつある。今のうちになんか書こう。

 

 まず、今現在、留学当初のやる気はほぼゼロです。トビタテの担当者にこんなこと言ったらどつかれるかもしれへんけど、嘘はつかんとこう。

 キューバに住む前まで、昨夏の1ヶ月ひとり旅で見たキューバに対するイメージと帰国後に本などを読んで作り上げたイメージが現実とかけ離れすぎていた。 平均給料が月3000円くらいで、海外に行くことも難しく亡命者が後を絶たないが、革命の歴史もあって社会主義という国のあり方を変えることは現時点で難しいという超複雑な国で、キューバに魅了された1人の日本人として何かしたい!と思ってた。

  そんな感じでこっちに着いて生活してみると、みんな国のやり方や経済に文句は言いつつもそれなりに生活してますやん。コンビニもないし、ネット環境悪いし、バス来うへんし、サービスも適当やんとか思う事あるけど、なんだんかんだ人はそこに生きている。

  変な正義感やら外の価値観を持って来たところでやっぱり“郷に入れば郷に従え”ってことで、俺もできるだけこっちの人の考え方や生き方を吸収しようとして今結構慣れてきた感じ。
 
  ただ、資本主義の日本社会で物に困ることなく過ごしていた自分も恥ずかしながらお金で解決してしまう時はある。お金で解決といっても最終手段で500円単位を払うか払わないかの違い。それでも日本人の500円とキューバの500円の価値は違うから難しいんやけども。

  前に外国人としてキューバに生きる葛藤を書いたけど、今はそれなりにその葛藤も落ち着いてきた。前は外国人、観光客として見られて一定の距離の中でしか人間関係が築けないことを悲しがってたけど、今は開き直って、それでも信用できる数少ない人間とだけ関係を築いていけばいいかって感じに落ち着いている。 


  そういや、キューバ来てから良い意味で人を信用しなくなった。日本にいてたら人を疑う事は悪いことや思って生きてたけど、こっちで生活してたら、そんなんで騙されたら自分が損するだけやでってことを学んだ。

 

 なにか自分に親切にしてくれる時もその裏に何か思惑があったりする事はいっぱいある。ただ、思惑がなんであれウィンィンになればええかってなる事もある。優しいだけはかえって信用できひんことを露呈させてしまうし、簡単なやつって思われるねんな。(まぁ、日本でも一緒か。)

 


 ちょっと経験談を交えて詳しく説明しよう。
今泊まっている家のオーナーはいつも親切に料理作ってくれたりデザート作ってくれたりする。悪い言い方をすると、俺らがこの家に愛想尽かして出ていってしまわんようにするためだろう。もちろん単に親切にしてくれてるだけかもしれへんけど。家を出て行って欲しくないという思惑が親切な行動の動機とやったとしても、こっちも安く立地の良い家を手放す訳にもいかんからその親切心はただただありがたい。ウィンィンやから。

 

  思惑がどうであり、自分が損しないならよし。昔の自分がこの話を聞いたらばり起こるかもしれない。人間を天使のようにピュアやと思ってたから。

  ここで出会うキューバ人と今一緒に住んでるアンゴラ人(ドミンゴス)の相棒のおかげで、本当に一味違う世界を学ばせてもらった。ほんまかいなっていう経験談が証拠と論理性を持ってるから、2度3度と驚かされる。社会主義の統制がきつい国とつい最近まで内戦をやってた国に生きてきた人間は経験と生きる知恵が備わってる。

 そんなドミンゴスは俺に色んな経験を話してくれるねんけど、その中で印象的やったのは“evitar”して生きろという台詞。

 


Evitarは「避ける」 という意味、イメージとして障害物に当たらず進んでいく感じ。上手く生きろということ。昔から兄に、俺は馬鹿正直すぎると言われていた意味がやっとわかってきた。それが取り柄でもあるから、全否定はしいひんけどもう少し賢く生きなあかんなと。

  集団での協調性に長ける日本人が、個人主義の強い地域で苦しんでしまうのはよく分かる気がする。まぁ人によるけど。

 とかいろいろ言いっても自分は繊細な心の持ち主なんで、気が置けない日本のみんなに会いたくなる今日このごろでもあります。

 ほんまに伝えたいことそのまま書いたからまとまりもくそもなくなった。 


 まぁ、それはともかく今はこっちでのんびり暮らしてます。が、ぼちぼちちゃんと勉強と遊びの両立をしてこうと誓います。
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「ありがとう」を考える。


 “La diferencia en el significado entre mi "Gracias" y sus "gracias"
—-

 

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  日本にいた時ありがとうについて考えることなど全くなかった。キューバに来てからそれについて考えるようになった。自分の使う“ありがとう”がここキューバではあってない気がするからだ。

 

  これに関しては日本とキューバや外国のような対比的な問題ではなく人によって捉え方は変わってくると思う。みんなは“ありがとう”についてどう考えるかいろんな人の意見を聞いてみたい。 
 

  友達が夜ご飯をあなたのために作ってくれました。
この状況で友達に「晩飯つくってくれてありがとう。」と言うのは私にとって当たり前である。
逆の立場で、何も言わずにその友達が帰ったとしたらあなたはどう思うだろうか。私はあまりいい思いはしない。 


  友達との距離感の違いで変わってくる問題かもしれないが、私の場合、知り合って間もない人でも幼稚園の頃からの親友でも上記の状況では“ありがとう”と言うだろう、しかも一回じゃなく何回も。 


  だがキューバに来てから、この感覚は普通ではないと思い知らされる。 


  ある日、アンゴラ人の友達の家に行ったとき、まだ昼ご飯を済ませてない私のためにかなり本格的な昼ご飯を作ってくれた。いつもの感覚で「ありがとう」を何回か言った。すると彼は少し不思議な顔をして「なんでそんなにありがとうなんか言うんだ。お前は俺の友達だろ。」

 

  別の日、キューバ人の友達の家に遊びに行ったとき、ビールとかなりの量のおつまみを出してくれたにも関わらず、何も持ってきてなかったので“ありがとう”を通り越して申し訳ない気分にさえなった。

 

 その友達の友達はありがとうの言葉はないどころか次から次へとビールを飲みまくっていた。気を遣うなんて言葉は友情関係において存在しないかのようだった。

 


 また別の日、友達と野球をした後近くの売店でジュースを二本買った。一本を友達にあげた。彼は何も言わずに飲み干した。大した値段でもないのに“ありがとう”がないことに引っかかる自分がいた。無意識に“ありがとう”を待っていた。はい、ただのけちなだけですね、これは(笑)。

 

 彼らと接する中で、自分と彼らの“ありがとう”には認識の違いがあると気づいた。

 


 どんなに些細なことでさえ他者が自分のためにしてくれたと感じた際、「~してもらう」という言葉でそれを言い表せられる場合、私は“ありがとう”を自動的に付与してきた。

 

 
 一方、「~してもらう」をそのまま直訳できる言葉がない英語やスペイン語にはそもそも「~してもらう」という感覚がないのかなと思う。

 

  よっぽどのことでない限りお互いに感謝し感謝される行為という認識がない。とくに友達関係においては感謝し感謝される行為の定義は狭い。「友達なんだからして当たり前だろ」みたいな感じで。 
 

 

 ただ、どっちの認識が正しいとかそうじゃないという問題じゃないが、彼らの認識に触れて自分の“ありがとう”に違和感を覚えることがあった。

 

 “ありがとう”という時もちろん感謝はしているのだが、他の感情も存在する気がしたからだ。 


  そんな時アンゴラ人友達が言った言葉でその違和感の正体が分かった。 
「俺の国でももちろん“ありがとう”は言うが、言葉自体はそんなに重要じゃない。行動がすべてだからだ。好きな女の子に何かをあげた時、その子が涙を流して喜んでくれたら、ありがとうの言葉がなくても感謝の気持ちは十分に感じられる。もっと言えば自分が好きで何かをしてあげているのに感謝されなくて気分が悪くなるのは筋違いだろ。」

 

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 自分が使っていた “ありがとう”に含まれる意味合いには行動で感謝の気持ちを表現する自信がない時の言い逃れが含まれていた。
 

 さらにありがとうを言ってもらえないことに対して引っかかる気持ちに関しては、見返りがあっての親切であるからだと気づかされた。 


 こうやって書いていると自分の器の小ささやケチさが露呈してきて書くのをやめたくなったのでここで終わるが、自分を見つめるにはいい時間になった。

 最後に

“ありがとう”に嘘はない。だがその気持ちを口だけで終わらせるのではなく行動でも“ありがとう”を言えるような人間になろう。
と自分を慰めて締めときます。  

 

ということで、今回もうまくまとめれず終わってしまいごめんちゃいです。

“俺は「外国人」なんか、この国では”

こんにちは。ただ今苦しんでおります、ちぇかしです。

 

留学開始から1ヶ月が経つということで、と言いつつ別に総括した訳でもない記事を書きます。

 

 

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今までも海外に旅行に行った際に自分が外国人であることはよく実感した。プラスでもマイナスの意味でも。でもキューバでは、自分が外国人である事を良いように捉えられたためしがない。こんなことを言うと「お前の国では、欲しいものも手に入れられて、したいこともできて、言いたいことも言えるじゃないか」とキューバ人からお叱りを受けるかもしれない。(今の日本の状況ではそのお叱りにも反論できるかな⁉︎)

しかし、前回来た時とは違い、こっちで生活しそれに伴う人間関係を作ろうとするとかなりの精神力が試される。

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具体的にキューバ人と外国人を分かつものとしてまず最初に来るのが“お金”。

日本では金持ちなんかの部類に到底入る事は出来ないが、キューバでは、まずこの地にやってきたという事実だけで金持ち認定される。ここに来るために日本で色んなことを犠牲にしようが彼らにとっては知ったこっちゃない。私は日本で学生なのに3つもバイト掛け持ちしてたと言っても、日本でそんなんなんか⁉︎と驚かれはするが、

「まぁ、こっちではそれだけ働いても海外に行くには何十年かかることやら。笑」

で終わり。

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なにが言いたいかというと、外国人としてキューバにいるとみんな金持ちなんです。したがって値段も外国人と地元の人で違うんです。

1番わかりやすいのがタクシー。

地元の人が乗るタクシーに乗ろうとすると、まずぼったくりの値段が提示される。(地元民が15cup=約60円のところ5cuc=約530円くらいで言われることもある。運転手によっても違うが。)

もうぼったくったきた時、後ろに乗ってるキューバ人クスクスわろてんもん。

そんな感じでぼったくってきたら乗らへんを繰り返すと集合に遅刻するから諦めてボッタくられることもしばしば。

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公共交通機関のバスもまた“外国人”であることを思い出させる。

時刻表なんかなく1時間待つこともよくある公共バスは市民の足のためいっつもドアからはみ出そうなくらい混んでる。常に都心メトロ朝7時を体験できる。そんな状況では列なんてもんはない。

*(公共バスは距離に関わらず乗車料金約1.5円)

はみ出すギリギリで乗れてホッとしてたら後ろからオッサンが私をどかして入ってきて誰かが降りないとバスが出発できない状況に。誰がどう見てもそのオッサンが降りるべきやのにそんな奴に限って「おい、チーノ!降りろ!」

*キューバではアジア人全員チーノ=中国人

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この時初めてマジでキレてしまったが、バスが発車できないため仕方なく降りた。(この後愚痴を聞いてくれたおばちゃんと仲良くなれて怒りは収まった。)

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CUP払いの地元レストランでもお釣りが足りてないことがしばしば。確実にわざと計算を間違えている。

*キューバには通貨が2つあり一般的に

地元民はCUP で外国人がCUC

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キューバでは、確かに外国人からの収入は大きな国の収入源なので外国人の私がキューバ人の生活に入り込みすぎるのは良くないかもしれない。しかし、学生であるおかげで一時的な住民としてキューバ人と同じ権利も持ち、この地に住んでいる以上は彼らのように生活をしないと、外国人値段を受け入れ続けるのはかなり生活費がきつい。

それと単純に外国人とキューバ人というふうに分かれられるのは寂しい。経済状況を考えれば当たり前だけどそう感じてしまうんです。

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1ヶ月住んでしまうと、5cuc=530円くらいのモヒートを安いと言って飲んでる日本人観光客が自分たちとは違う世界に住むのかというくらいにこっちの生活に標準が合ってきた。それなのに、彼らキューバ人からすると何年住んでようが見た目は初めての滞在の観光客と同類のため値段も跳ね上がる。

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お金のことをとやかく言い過ぎに聞こえるかもしれませんが、お金以上に決して変わることができない外国人としての自分の立ち位置にもがき苦しんでいます。

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この苦しみは物の値段だけでなく友情関係においてもっと強く感じることになり、これが前回の投稿で書いたことに繋がるわけです。

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てことで、9月前半かなりのペースで走ったのですが色んな現実問題と語学の壁にぶち当たって絶賛下り坂な気分。

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ただ、現地にいる多くの外国人としての苦しみを早い時点で様々な外国人の友達と共有できたのは良い経験やと思う。

Amigo(友達)とは何なんや。

Amigo(友達)とは何なんや。

—“What is friendship in Cuba”

 

 

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 題名から「あー、こいつキューバで結構病んでるな。」とちょっとでも思われた方や心配された方、キューバに来て励ましに来てくださいね。往復10万くらいのチケットもありますよ。

 っていう冗談は置いといて(来て欲しいのはほんま、いやかなり本気。)

 

 ちょっとこっち来てからの思いや葛藤を久しぶりに文字に起こしておこうと思います。

 

 

 

一年ぶり2回目のキューバ、空港に着いて次から次へとタクシーの運転手が声をかけて来るのを見て「ついに来た」と思った。

 

 カサ(安宿)に着いて早速、オレンジの蛍光灯に包まれた夜のハバナ市内に足を運ぶと、あちらこちらに捨てられたゴミから漂う悪臭と蒸し暑さ。キューバの良さをみんなに伝えるために植え付けた輝いたキューバのイメージが一瞬で消えた。

 

「これから、ここで住むんか〜。結構えぐいかもしれんな。」心の声は嘘はつけへん。

 

 今回のキューバ留学は“観光でキューバと日本を繋げる”というテーマのもと留学奨学金をもらって来ている。

 

 色々目標があるが、個人的に重要な1つは不思議だらけのキューバ(人)を知ること。

 

 みんなご存知やろけどキューバ社会主義の国。

 

 社会主義の国キューバってどんなんなん?

 適切な答えかどうかわからへんけどしいて言うなら

 

 平等である事が幸せという考えで成り立ってる国。なんかな?

 

 国が経済を管理していて約9割くらいが公務員。資本社会といえばの株式会社はない。一時は政治家と清掃員の給料の差が6倍しかなかったような社会。医療費と教育費は無償。

 

 去年この情報を頭にキューバに乗り込んだ。「金持ちにはなれへんけどホームレスで苦しむ事もないし、日本やアメリカとかの先進国にある勝者と敗者に分けられるような社会にはない良さが社会主義キューバにはあるんかな〜。」って。

 

 でも現実は違う。

 

 医者や弁護士よりもタクシー運転手の方が何倍も給料が高く、裏でビジネスをしている人の方が良い生活をしていた。

「あれ、矛盾してません?」

 

 しかもラテンの陽気な性格のキューバ人!みたいなのもなんかちゃうぞ〜。.

 大体、観光本やテレビで見る陽気な感じな人は観光客相手に商売している人が多い。(もちろん全員がそうじゃないからね。)

 

 自分から話しかけた方が、仲良くなりやすい。

 それでも仲良くなれたかなと思ったら金銭的な目的やったり、こいつは絶対金目的やと思ったら逆に奢ってくれるみたいな人もいる。 .

 そう、キューバ人との距離感がマジで掴みにくい。

 

 これは俺だけじゃなくて何年も住んでた何人かの日本人も同じ事を言ってた。

 

 近寄りすぎても遠ざけすぎてもあかん。

 

外国人である俺とキューバ人との間にはかなり複雑で大きな隔たりがあるんやなと正直思ってしまった。 .

 政治も文化も社会も経済的状況も違う中、本当の友情とは何んなんやろ。

 そう考えた時、友情関係が成立するには経済的にお互いがある程度同レベルである事が暗黙の前提になってるという現実に出会った。

 

 実際、今ある程度信用できるキューバ人の友人は海外を経験してたり、外国人と結婚してたりしてキューバではある程度お金を持ってる人たち。

 

 そんな中で結婚式に招待してくれて一年の付き合いがある友人の一言は強烈やった。

キューバで完全に人を信用する奴はただのアホや。」 友達の目の前で言うことではないやろと思ったけどこれがそこに住む人の本音なんやろな。

 

 じゃあ日本では? .

 日本では経済的状況は同レベルじゃなくても人生において欠かせない大切な友達がいる。違いはなんや。

 まぁ、まず一緒にいた時間の長さが違うのは当たり前として、他の要因は、経済レベル自体が違い過ぎるということとキューバに生まれ育った者しかわからへん価値観があるからやと今の時点でそう思う。

 

 まぁそんなわけで、今回のレポートはかなり現実的でネットやテレビの観光情報みたいにキラキラした観光地キューバを紹介するのとは真逆の事を書いたわけです。笑

 

 でも最後に1つ言えるのは、この“人”の本質的な部分を考えさせてくれるのがキューバに惹かれる理由の1つなんかとは思う。(さすがにキューバ擁護しすぎやし、ただのドMやん。いや否定できひんかも笑笑)

 

 あー、キューバにはもちろん綺麗なビーチ、クラシックカー、時間の止まったような世界観、美男美女が観れるという観光地として来る理由はめちゃあるので気軽に来て欲しい!!🙋‍♂️👍

. (全然宣伝になってる気がしいひん。)

でますますキューバに行く気をなくすきっかけになってしまったかもしれへん💩

 

*注意

 まだまだキューバのごくごく一部しか見ていないし、このレポートはいち外国人の僕のキューバに対する思いなんで「へ〜、そうなんや」くらいに思っておいて下さい。キューバに対するイメージは実際に自分の目で見て感じてください。

 

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