革命の国に生きる人たちとの1か月。
こんにちは。キューバです。
そんな冗談はさておき、キューバに恋しました。
観光資源は人!?
キューバとは??
30~40代以降の方に聞くとすぐに“カストロ”、“チェ・ゲバラ”というフレーズが返ってくる。
でも同年代の学生に同じ質問をすると
社会主義の国、アメリカと仲が悪い国、治安が悪い、野球が強い、、まずどこ?、。
という答えが返ってくる。
実は、野球強い社会主義の国くらいしかキューバのことは知らなかった。ただ小学校の時に見たテレビで、キューバでは教育費、医療費無償だということを知ってあまりマイナスなイメージは持ってなかった。
面積は約11万㎢で本州の約半分。
人口は1,149万人(2017年現在)と東京とほぼ同じ。
首都は、カミラ・カベロのヒットした曲でおなじみの“ハバナ”
(ちなみに大好きな歌手カミラ・カベロがキューバ系と知ってめっちゃ嬉しかった。)
宗教は原則自由ですがキリスト教徒が多い。アフリカ系のサンテリアという民間信仰もある。
気候は、石垣島と同じ緯度にあるため常夏。ハリケーンが9~10月に多し。2018年9月には巨大ハリケーン「イルマ」が直撃、甚大な被害が出て日本でもニュースに。
そして気になる政治体制。キューバは共産党を最高指導勢力とする社会主義国。
お隣北朝鮮の影響で「社会主義」「共産主義」=「独裁」「やばい国」のようなイメージを持つ方も多いかもしれないが、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラたちが“革命”を起こし、社会主義の国になった歴史を知れば、「社会主義」へのイメージが変わると思います。(今、日本の民主主義もえらいこっちゃなってますしね汗)
そもそもなんでキューバ行ったん?
前回の記事にも書きましたが、一つ目の大きな要因は2017年のタンザニア旅行。
初海外で兄の留学地であったタンザニアに2週間滞在した時、「兄とは違う国に、英語ではない言語が話されてる国、そして海に面している国に行こう」と欲張りをかましました。
まだその時はこの国に行きたいというのはなかったのですが、ラテンアメリカのどこかには行きたいと思いました。
タンザニア帰国後、大学のゼミの先生にそんな話をすると「サルサが有名なキューバは?」とダンスを切り口のキューバを提案してもらいました。
「あ~キューバか~」と全くダンスに興味はなかったのですが(すみません先生。)
キューバと聞いて、「医療費、教育費無償の国キューバはすごい国やな~」と小学生ながらテレビに興味津々だったのを思い出しました。
それに野球をしていた僕は、キューバ選手が日本で活躍しているのを知っていたため、「キューバの野球を見たい!」となったわけです。
そんなに「絶対キューバに行く!」という強い動機もなく、貯め続けていた貯金を使って一か月旅に出ることにしました。
「観光客にはならんこと」
大金を使って海外経験に投資する訳やからなにか意味のある旅にしたいと思い、一つの決まり事。
「観光客にならんこと」
観光客のイメージは、観光地を巡って、インスタ映えする写真を撮って、ツアーに参加して決められたアクティビティをこなして、夜は高級ホテルでモヒートをグイっとといった感じ。
もちろんこれは極端なイメージやと思いますが、そういった旅は金銭的にも不可能だったので旅のスタイルを自分なりにしてみた。
それは、とにかく現地の社会(人)を生で感じること。
当時スペイン語はほとんど話せませんでしたが、会話帳片手に熱意と興味を背負ってあらゆるキューバ人に話しかけてみた。
このことがとんでもない経験をするための近道だったことは予想できなかった。
友達に「キューバどうだった?楽しかった?」と聞かれるけど、その答えには今でもほんまに悩まされる。すべてを一から説明したらなんとなく分かってもらえる気はするけど、総じて旅をまとめるのは難しい。
しいて言うなら、「何が良かった?」と聞かれると、「人」と一文字で答えられることくらい。
キューバの経験、「人との出会いは」嬉しいことも悲しいこともあり、喜怒哀楽の連続やった。
「怒」と「哀」の部分は「喜」、「楽」の時間より大きかった。
そのほとんどが人間関係が原因で。
例えば、野球をして仲良くなったと思った若者たちには最終的にお金をねだられクラブへ彼らを連れていくことに。キューバ第2の都市サンティアゴでは、広場で仲良くなった人たちには酒を交わされ、挙句の果てにドラッグを勧められたりこともあった。
「結局俺は金づるでしかないんか!」と最初は躍起になった。
でも、改めてキューバの社会状況を考えてそれらの出来事を考えた時、お金を超えた人間関係を望んでいたことに対する悲しさがこみ上げてきた。
「国を超えた、お金を超えた友情関係なんて成立するんかな。」
夜の公園でベンチに寝そべりながらこんなことを思ったことがあった。
でも、カサ(民泊のような宿泊施設)への帰り道で仲良くなったキューバ人家族のディナーに招待されたり、公園でたまたま隣に座ってきた兄ちゃんと仲良くなり結婚式に呼ばれたり、キューバのプロ野球選手と一緒に野球をしたり、と温かい人たちに巡り合い、友情を感じさせてくれたのもまた真実。
数では「怒」と「哀」が多かったかもしれないけど、「喜」と「楽」のパワーはその数を圧倒した。
「経済関係を超えて友情関係が成り立つなんて、たった1か月の滞在で来た外国人が偉そうに望むこと自体バカげてる」と思っている自分は確かにいる。
でもそんな希望を持つことをあきらめられないのは、キューバ人の魅力に憑りつかれたからだと思う。
これこそがキューバが多くの人を呼び寄せる理由だと思う。
同世代の日本の若者がキューバに足を運び、自分の目に映る彼らの姿をぜひ共有してみたいというささやかな望みを結びに今回は終わりとしま~す。
長くなりましたが読んでくださりありがとうございました。